リミッター

私は泣かない。

感動的な映画やドラマを見ても、音楽を聴いても、小説や漫画を読んでも、まず泣かない。
小学生の頃は悲しい物語とかで泣いたこともあったけど、いつのまにかそんなことはなくなってしまった。
小学三年生か四年生のころ、学校の視聴覚室で見たなんだか悲しげな映画(内容もタイトルもすでに忘却の彼方、だ)を観たときに涙を流して、やたらと恥ずかしくって、私以外に泣いているやつ(特に男子で)がいないのかあたりを確認してみたりしてみたりしたのが、その手のことで泣いた最後の記憶だ。

かといって、感動する気持ちがないのかと言えばそういうわけでもなく、なんだか切なくなったり、なんだかホンワカしたりなんてのは普通に感じることはある。
いい作品に出会えば、普通に「いいなぁ」と思うのは当たり前だ。
ことさら涙腺に関しては何らかのリミッターが働いているようだ。

それは人の生き死にに関しても同じで、例えばじいさんが死んだときも、ばあさんが死んだときも、叔父が死んだときも、叔母が死んだときも、実の父親が死んだときも私は泣かなかった。
父親に関しては実際には死んだときにではなく、死にそうだ、ということで病院に駆けつけたときだったけど。
ベッドの横にいる弟や妹が眼に涙を浮かべているのを見て、「なぜ私はそうならないのだ?」と、素直に感情をあらわにできる彼らを(こっちはこっちで「素直」に)うらやましく思ったものだ。
もちろん、そのときの私だって悲しい思いをしていたわけで、そういう意味でなんだか説明できないもどかしさを持っていた。
さぞかし周りにいた連中には冷たい男に映っていたんだろうね。
だから、よけいなことで悲しくなったりする。

とは言っても何らかの作用は働くようで、普段と同じようにしているつもりでも、普段のことがほとんどできなくなったりするようだ。
「するようだ」というのは、元来の私の怠け癖の言い訳かもしれないという疑いもあったりするわけで、何しろ私は自分の言動を他人以上に信用していない。
それでも、いつものように机に向かっても、いつの間にかぼんやりしてしまったりするのはそれはそれで事実であるから……ちょっと甘えたいだけなのかもしれぬ。
わからぬ。
本物のことは本物にはわからないからいくら考えても無駄なのである。

昨夜、身近な三人で故人を偲んでちょいと呑んだ。
話した内容は他愛無いものだけであったけど。
ちょいと呑むつもりが朝になってしまった。
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by mtfeather | 2010-08-29 23:29 | 日記  

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